前田利常と粟津温泉

その一

加賀藩の三代藩主前田利常は若干13歳で家督を継ぎ、加賀藩を盤石にする数々の功績を残しました。寛永十七年、小松城に隠居。47歳での早すぎる隠居は、その優秀さゆえの幕府の嫌疑によるものともいわれています。利常を語るとき、百万石を安泰にするために凡庸を装ったという「鼻毛の殿様」の逸話が挙げられますが、実際には行政・文化面で数多くの業績を残した名君でした。

その二

隠居した利常は、美術工芸の名人・名工を数多く小松に招き、城の増築、寺や神社を造営しました。また小松絹・九谷焼・瓦・茶・畳表等を保護奨励し、文化と産業の両面で小松の原点をかたちづくりました。粟津では泰澄大師から授けられた聖観世音菩薩、薬師如来を祀る大王寺が天正年間に朝倉氏に焼かれましたが、利常の命により見事に復興しました。大王寺は粟津温泉の守護寺として、今も地元の人たちを守っています。

その三

粟津からほど近い那谷寺も境内の荒廃を嘆いた利常が、寛永十七年、名工・山上善右衛門らに岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院などを造らせ再興しました。書院は最も早く完成し、利常自らがここに住み指揮したといわれています。書院から見える庭園は、茶道遠州流の祖である武将・小堀遠州の指導を受け、加賀藩の作庭奉行に造らせました。これらは現在、国指定重要文化財および国指定名勝となっています。

その四

その利常が那谷寺を訪れた折、粟津に立ち寄りお手植えされたのが、温泉街の中心、法師旅館の前の道路中央に立っている黄門杉です。利常は、当時の江戸上屋敷の門が黄色であったため、黄門様と呼ばれていました。樹齢約四百年たった今では20度近い傾斜になり、日本初の樹医山野さんにも診ていただきました。小松、粟津の発展の恩人といえる前田利常公もその昔、粟津のきめ細やかな湯で日頃の疲れを癒されたことでしょう。